大事な約束を忘れられた時に感じたこと

 

売却契約を済ませた家の引き渡しが今週金曜日。

 

仲介した不動産エージェントに家の鍵を手渡す約束をしていました。

 

彼が物件まで鍵を取りにくるはずが時間になってもなかなか現れません。

 

テキストを送っても、電話をかけても返事がないのでどうしたのかと思っていたら携帯が鳴ります。

 

どうやら仕事で取り込んでいて連絡ができなかったらしく、鍵は後で取りに行くからレターボックスに入れておいてほしいとのこと。

 

誰でも開けられるレターボックスで大丈夫?

 

そう思ったのですが、なるべく早く取りに行くというのでそのようにしてきました。

 

家の鍵をエージェントに預けるのは引渡日の直前でも良かったのかもしれません。

 

しかし、そのためだけにわざわざオークランドに来るのも大変です。

 

なので最後の芝刈りのタイミングでエージェントに渡してしまうことにしました。

 

しかし、彼が来ない。

 

約束の時間に来れないならその連絡くらいあっても良いようなものです。

 

しかも手渡すのは売却した家の鍵。大事な仕事に思えますが、予定を忘れてしまっていたのでしょうか。

 

日本で同様のことがあればおそらくクレームが入るでしょう。

 

しかし、この国に日本の感覚を持ち込んで生活すると間違いなく疲れてしまいます。

 

自分の価値観とずれがあったとしても、ある程度『流す』ことを覚えていかなければなりません。

 

ただその一方で、自分の意思は曖昧ではなく、はっきり相手に伝えることが大切です。

 

このエージェントとは別件の話もしたのですが、それについてはこちらの希望を明確に伝え、リクエスト通りに進めてもらうことで了承を得ました。

 

ここでふとあることに気づきます。

 

仮にこのエージェントが日本人だったらどうだったろうか...

 

約束の予定をすっぽかされたら今よりもっと気分を害する気がします。

 

これは、日本人なら仕事に対する意識は高いはずという期待があって、それが裏切られたと感じるからのように思います。

 

リクエストを出す件については、相手が日本人の場合は、はっきり伝えるというより少し遠慮がちな表現になる可能性があります。

 

相手のことを考え過ぎたり、空気を読んだりするクセがあるので、コミュニケーションをとるときはどうしても気疲れします。

 

しかも、曖昧な表現になれば本来の意図がうまく伝わらないことだってありえます。

 

そうしたことから日本人ではない人の方がコミュニケーションをとりやすい、と感じたり、不満があったとしても大した問題に感じない、ということがよくあります。

 

とりわけ英語でのコミュニケーションが得意なわけではありません。

 

また、現地の日本人を毛嫌いしているわけでももちろんないのですが、ただ単純にそう感じることがあります。

 

海外に暮らしていて同じような感覚になったことがある人って、意外に少なくないんじゃないかな。

 

そんなことを考えていたら大事な約束を忘れられたことがどうでもよくなりました。